上杉アイクの机上で空論

独特の感性で森羅万象を考えます

誠意とはそれほど厳しいのだっ!!

 それにしても驚きました。かのスマブラクラウドが出演するとはっ!!任天堂ハードでクラウドが出ているゲームって片手の指より少ない気がするけど時代は変わったっ!!

 実はFF7というのは任天堂と旧スクウェアのターニングポイントだったんです。
 初めFF7は64DDでのリリースとされていました。しかしそれでもソフトの容量がPSやSSより少なかったこととN64自体の開発が遅れていたため、結局PSでのリリースと相成りました。しかし、ここまでなら任天堂も怒りはしませんでした。同じくDQ7をPSでリリースしたエニックスとはその後も取引が続いていたことからもわかるように、任天堂はPSに関しては意外にも寛容だったのです。
 ところが、FF7のスタッフがN64を扱き下ろす内容のインタビューが、ゲーム雑誌に載ってしまったからさぁ大変、当時の組長内山博社長はN64がお気に入りだったから大激怒したのです。その激怒ぶりは「スクウェアの関係者を任天堂の敷地内に入れるな」とお達しを出すほどでした。それに油を注いだのは「デジキューブ」でした。当時の任天堂商品は「初心会」と言われる問屋組合を通して取引されていました。そのためロムカセットの値段は、高騰はするは値下げはできないやらで一部のサードパーティからの不満を集めていました。スクウェアはコンビニでもソフトを扱えるように独自の問屋みたいな流通会社「デジキューブ」を設立。SCEをはじめ初心会に不満を持っていたサードパーティもその流通に乗せられるようにしたのです。山内社長は面目を潰された格好になったのです。
 しかし、デジキューブの流通は「返品が利かない」ためソフトは中古市場の大量に出回り、値崩れが発生。さらに「どれだけ出荷したか」はわかるのに「どれだけ売れたか」はわからなかったため、一部のマスコミから不正を指摘されるなど社会的な信用は徐々になくなっていき、親会社のスクウェアの利益で補填しないといけない事態になりました。しかも当時好調だった任天堂の携帯ゲームのソフトは取扱いができないため、株主総会で「土下座をしてでも任天堂と和解しろ」と言われたそうです。対するデジキューブスクウェアの傀儡会社なので、「土下座だけで済むならいくらでもする」と任天堂との「断絶ぶり」を示しました。結果、デジキューブは本来の機能を果たせなくなりました。それからしばらくして「FF映画事件」が発生、スクウェアは存続の危機に瀕したと言っても過言ではなかったのです。
 それからスクウェア自体はSCEの子会社になり「事なきを得た」のですが、実はその前に任天堂と交渉したそうです。しかし、任天堂は「オンラインに関する考え方が違う」という理由でスクウェアを助けませんでした。しかし翌年にはFFブランドを任天堂ハードで発売することが発表、「歴史的和解」となったのです。
 
 ・・・しかし、クラウドの参戦には、なんというかアレなものを感じます。そう、某蛇のような事が・・・