上杉アイクの机上で空論

独特の感性で森羅万象を考えます

新劇場版でのカヲルの「役割」

 TV番組としての新世紀エヴァンゲリオンは元々人気があったわけではありません。再放送が繰り返されて徐々に人気になり、さまざまなメディアの題材になることで継続的な人気を維持しました。いわゆるパッケージ商法で、メディアミックスを積極的に行いエヴァを知っている人をメディアに、エヴァを知らない人にメディアで紹介して・・・の循環を作ることでエヴァンゲリオンのコンテンツとしての価値を高めることに成功しました。たとえばパチンコとか。
 さて、そのようなメディアで特別な扱いを受けているのが渚カヲルです。たとえば、「エヴァンゲリオン2」というゲームでは特別な条件を満たさないとプレイヤーキャラクターとして使えないし、パチンコではカヲルの登場自体が「プレミアム演出」となり当たりが確定します。
 そんなカヲルはヱヴァンゲリオン新劇場版:序のラストもラストに、月面の「タブハベース」の棺桶の中から「また3番目か。変わらないな、君は。会う時が楽しみだよ。碇シンジ君。」とあたかもそれ以前の世界(TVシリーズ?)を知っているかのような発言とともに登場。破でも月面でゲンドウに「初めまして、おとうさん。」というこれまた意味深なセリフを言い、ラストのしかもスタッフロールの後にサードインパクトをカシウスの槍で阻止。「今度こそ君だけは、幸せにしてみせるよ。」と断言します。そしてQ、シンジとのふれあいの末にフォースインパクトを阻止して、DSSチョーカーにより死亡?します。なんともヒロイックなカヲル君ですが、様々なメディアで特別扱いされているのを十分知っていて、Qを観たとき「今度こそカヲル君が何とかしてくれるんじゃないか?」と一瞬でも思いませんでしたか?
 実は新劇場版でのカヲルの言動、TVシリーズとあまり変わっていないのです。いかにも物語の背景を知っているような言動を振りまいた揚句、最期は突発的な事態とはいえ自ら死を選びます。「結局なんとかしてくれないじゃん。」と視聴者に思わせます。
 少し話は変わって、金曜ロードショーでQが放送されたとき、予告で「NEXT EVANGELION:3.0+1.0」という映像が流れました。これに対しネットでは様々な憶測が流れました。有力な説に「単に4.0。でもなんでわざわざ分けた?」とか「Q→序→破→Q・・・と世界がループする」とか「破で流れた予告の内容、つまり破→Qの補完」があります。では序のDVDの特典映像を見てください。初出の劇場版予告で、チェロ?の不協和音をバックに「ヱヴァンゲリオン新劇場版 序1.0 破2.0 急3.0 ?FINAL 我々は再び、何を作ろうとしているのか?」と表示されます。そして当初の計画では、序、破、急+?の順に公開される予定でした。この?、 一見シン・エヴァンゲリオン劇場版:||に相当していると思われますが4.0ではなくあくまでFINALなのです。そしてEVANGELION:3.0+1.0、3.0がQで1.0が序であるのなら、当初予定だった急+?でQ→序のループする内容であるとは考えられないでしょうか?
 庵野監督にとっての不確定要素は序と破でどのくらいの収入があるか?のはずです。もし十分に収入がない場合はQ+?で終わらせるつもりで、もし十分な収入があればQと シン・エヴァンゲリオン劇場版:||を2つ作るという、二正面作戦をとったのではないでしょうか?そして破が大ヒットし、Qはニアサードインパクトの後14年後という設定で、公開はTVシリーズ完結から15年後・・・「まごころを、君に」で劇場の様子(シト新生の時)を映して、「ヲタクによるヲタク批判」とまで言われる演出をした庵野監督は嫌味を込めて公開したQで更に、「15年も経ったのにロクに成長せずにこんなものをわざわざ観に来るんじゃねーよ、金使ってんじゃねーよ、夢中になってんじゃねーよ。」と皮肉をこめたのではないでしょうか?そしてそれすらも大ヒット。なので金曜ロードショーの予告で当初の予定だった急+?の公開を示すことで「だったらこれも公開してやるよ。当然完結は遅れるよ?でもいいでしょ、お前らは金曜ロードショーを最後まで観るほど暇なんだから」というメッセージを伝えたのです。
 カヲルと庵野監督。一見関係ない二つの事柄は実はある事実でつながっています。ゲンドウはTVシリーズのキールのゴーグルをかけていて、TV版でのゼーレの役割を背負っていることを暗示しています。TVシリーズでのカヲルはゼーレの指示でサードインパクトを起こそうとしますが、これはゼーレはカヲルによるサードインパクトが起きればよい、できなくて初号機に殺されてもシンジに絶望を与えてサードインパクトの準備ができるという二正面作戦でした。つまり新劇場版と庵野監督の関係はそのままTVシリーズのカヲルとゼーレの関係そのものだったのです。カヲルが死に至る少し前、ゲンドウはゼーレに「あなた方は私たちに文明を与えてくれた、ありがとう」という趣旨の発言をして、冬月が電源を切ってゼーレを殺害します。その時キール?は「我々の目的は全て達成された。良い、全てこれで良い。」という言葉を遺します。そしてカヲルはゲンドウの思惑通りに死亡します。この「我々の目的は全て達成された。良い、全てこれで良い。」という言葉は、庵野監督の「お前らのおかげでお金の心配は無くなったよ、後は好き勝手やらせてもらうよ~ん。後は考察でもなんでも勝手にやれば?暇人共m9(^Д^)プギャー」というメッセージです。カヲルがTVシリーズと新劇場版の両方で、何かを成し遂げようとしたけど不慮の事態で失敗、シンジに何かを伝えて死亡するという酷似した運命を辿るのは、カヲルの「役割」が新劇場版の遍歴を示すことだったからです。ちなみにカヲル役の石田彰は、声優の中で唯一庵野監督から世界の全ての設定を聞かされているそうです。そう考えると庵野監督が「風立ちぬ」で声優をやったのも、単に師匠の引退作だからではなく、「ヱヴァンゲリオン新劇場版はもう余裕です。」というメッセージだったというのは考え過ぎでしょうか?まさかスタジオジブリヱヴァンゲリヲン新劇場版に噛んでいるなんて・・・あれ?