上杉アイクの机上で空論

独特の感性で森羅万象を考えます

ポリコルリコ

 いつもボドゲカフェやボドゲ会では、主に45分以内に終わる「軽~中量ゲー」を主にプレイしますし、持っているボドゲも大体そのくらい。基本的に色んなゲームをプレイしておきたいので。

 しかし、たまには重量級の、しかも2時間越えのクソ重たいコンモリ・コッテリ・高カロリーなゲームをプレイしたい衝動に駆られるのもまた事実。プレイの際は「重ゲーは大丈夫ですか」と確認するのが真のボドゲーマーだ!

 僕も1つは重量級の高カロリーゲーを一つは・・・というより、基本軽ゲー派なので、一つ持っておいても良いだろうと思い、拡張版もコンプリートできそうなボドゲ色々と調べてはいました。一旦は、2022年にリリースされるとされているリメイク版のラ・グランハを狙ってはいたのですが、僕のボドゲ情報収集能力はまだまだのようで・・・

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そう!ボドゲ界に燦然と輝くワーカープレイスメントの金字塔!拡張やプロモカードも全部入りのプエルトリコのリメイク版の日本語版が10日に発売されることを、今月に入って知ったのです!!

 しかも、ラ・グランハよりも断然安い。

 探したら駿河屋で送料無料で売っていたので、速攻で購入。駿河屋は発送がゆっくりめなので、首を長~くして待っている所です。

 しかし、このリメイク版プエルトリコ、なにやらキナ臭い事態になっているようで・・・

 

 というのもプエルトリコというゲーム、設定上スペインの植民地時代のプエルトリコを舞台に、プランテーションを作って利益を上げるのが目的なのですが、ワープレに付き物のワーカーコマは茶色。

 植民地時代にプランテーションに茶色のワーカーコマ。ハイそうですね、黒人奴隷ですね。つまりはこのゲーム、黒人奴隷に号令をかけつつプランテーションやら町やらを発展させていくわけです。

 また、リメイク版プエルトリコの正式名称はプエルトリコ2020。

 Wikipediaのページには変態新聞の有料記事のリンクが貼ってあり、読んでみると「米国大統領選挙」やら「BLM」やら、変態新聞と合わせて相当に胡散臭い内容になっているのですが、まあ要は、奴隷制度がルールの基盤になっているゲームというのはいかがなものか?という内容なのです。

 ポリコレの波がついにここまで来たかという感じで、リメイク版プエルトリコではワーカーコマは紫色に変わっているそうです。

 

 一応「ボードゲームギーグ」という、日本でいうところの「ボドゲーマ」に相当する外国のファンサイトでも、奴隷制度の扱いに関して議論が行われたみたいですが、変態新聞がBLMを引き合いに出すという、日本人にとって反感を買うような行為に及んだこともあって、僕としては、なぜワーカーコマの色を変えるような愚挙を犯してしまったのか?とい残念な気持ちになりました。

 そもそも、トランプ大統領の再選を阻止し、バイデンの不正を後押ししたBLMやアンティファ自体が、シナやコミンテルンの意を受けて結成された組織である事は紛れもない事実です。またこのような運動にシナからお金どころか火器まで支援されているのだからタチが悪い。BLMやアンティファは、黒人差別解消や民主主義を守るためでもなんでもなく、むしろ、民主主義や黒人を蔑ろにするための運動なのは明白です。

 そういった連中が、最近、過去の大統領の名前が付いた学校を、別の名前に変えようとする運動を行っているのをご存知でしょうか?連中は、例えば「ジョージ・ワシントンは黒人奴隷を使っていた。ワシントンはけしからん人間なのだから学校の名前に採用するのは不適当だ」という理由です。

 ボケ老人とシナ犬ハリスバイデンを大統領に担ぎ上げた連中が、こういった歴史的や文化を否定してまわる事を「カウンターカルチャー」と言います。当然バックにいるのはシナに代表されるコミンテルン

 こういった運動は、何もアメリカだけで起きている訳ではなく、例えば日本でも、一時期、黒人を想起させるような「だっこちゃん人形」やら「ちびくろサンボ」やら「ジャングル黒べぇ」等が発売中止になった例はあるし、現在でも、シナや朝鮮やそのシンパのパヨクが中心となって、日本の歴史の捏造や文化の否定を行っているのは周知の事実。

 また、黒人の犠牲ばかり強調していますが、例えば第二次世界大戦後にシベリア抑留で5万人以上の日本人が犠牲になったことを、マスゴミはどのくらい報じているでしょうか?また、朝鮮を中心に、従軍慰安婦なる架空の被害者を作り出して、パヨクも一緒になって騒いでいますが、なら「からゆきさん」にも同じような賠償請求があったでしょうか?そもそも、シナは現在進行形でチベット人ウイグル人を奴隷として働かせていますよね?

 アメリカのカウンターカルチャーの件にしても、例えば1863年に奴隷制度が廃止されるまでは、少なくとも黒人奴隷を使役すること自体は合法だったはずです。というか、当時の経済自体、合法的な奴隷制度があることが前提でした。乱暴に言えば、現在の農家が農機具を買ったり、ちょっとお金持ちの家がルンバを買ったりする、そういう認識で奴隷というのは使われていたのです。当然、奴隷とされた人達にとってはたまったものではないでしょうが、当時の認識を、現在の尺度で「コイツはけしからん」と定義することは、果たして正しいことなのでしょうか?

 シンボリックな被害者を過剰に演出し、その実被害者救済のために少しも動こうとはしない。「日本人やチベット人ウイグル人なんていくらでも不幸になってもいい」と言わんばかりに特定の国の被害に言及しない。それどころかまったく架空の被害者まででっち上げる。そういった人たちの声に対して、譲歩すること自体が愚挙なのではないでしょうか?

 日本のゲーム会社でも、例えば任天堂の「ファイアーエムブレムif」にてLGBT運動の連中からの抗議に屈して同性婚が可能になったり、カプコンの「ストリートファイター2」の移植版にて朝鮮の言いがかりに屈してエドモンド本田のステージの旭日旗に類似する演出を削除したりと、あからさまに「文句の言いやすい所に文句を言う」行動に対して譲歩してしまうことがあります。そうなれば連中の思う壺。「〇〇を行ったんだから、別の要求も聞け」とか「〇〇も要求を吞んだのだから、お前も要求を呑め」という口実になってしまうのです。

 今回、リメイク版プエルトリコを発売したアレア社が、エセ人権活動家の要求を吞んだのか、はたまた「自主規制」をしてしまったのかはわかりませんが、そういったタチの悪い連中に付け入る隙を与えてしまったのは紛れもない事実です。

 また、日本のコンテンツでも、共産党員だった手塚治虫の漫画には「作者には差別的な意図はなかった」「当時の表現を尊重する」旨の但し書きを付けるだけで済んでいるという、これまたパヨク優遇の措置が取られていますが、リメイク版プエルトリコでも、こういった措置をとって対処するという選択肢はなかったのでしょうか?

 

 確かに黒人奴隷というのは許される行為ではありません。

 しかし、それとシナやコミンテルンやパヨク連中の一方的な主張を直列つなぎにして言葉狩りや表現の規制一辺倒になってしまうのは、果たしてパヨクの言う「多様性」や「表現の自由」の侵害にならないのでしょか?