上杉アイクの机上で空論

独特の感性で森羅万象を考えます

やればやるほど

 Windows10の自動アップデートを拒否できるようになったそうで。アップデートしたことでの不具合報告も多いそうですが、地味に大きく変わったのがフロッピーディスクが読み込めなくなることではないでしょうか。

 小学生の時に父親がワープロを使っている時にフロッピーを見た時、「フロッピーってよくできてるな~」って思っていました。だって、あんな薄っぺらいカードみたいなのに自分の作ったデータが入るんですよ。中学年くらいには学校でもPCの授業がありましたが、アクセス時に「ヴ~ン、カリカリッ」って音がするのが、「コンピューターを触っていること」を実感するのでした。短大の時にワードでレポートを書きましたが、そのデータをしまっておくのもフロッピー。量販店で大量に買って友達と折半したこともありました。
 まあ僕が短大の頃は、作る文章ファイルなんて精々100KB。フロッピーの容量は1.6MBもあるので、その頃までは十分すぎるのでした。そう、「その頃まで」は。
 ちょうど短大生だった頃、インターネットの、そしてPCの性能は飛躍的に上がり、画像や動画、音楽のファイルもサクサク落とせるようになりました。デジカメもデジタルビデオも安くなって、フィルムの残りを気にせず写真や動画をドンドン撮れる。音楽はPCに入れるもの。当然、個人のPCで扱うデータは、文字通り桁違いに大きくなり、デバイスはUSBを使ったフラッシュメモリが市場を席巻。フロッピーは瞬く間にお呼びでなくなりました。
 それでもしばらくは文章ファイルを入れるのには十分で、古くてUSBが無いPCも多かったのですが、今も元気に稼働しているかと言われれば・・・

 フラッシュメモリは今や、8GB、や16GBは当たり前。単位が「MB」のSDカードを探すのは相当難しいでしょう。「大は小を兼ねる」という諺はありますが、実は僕のカーナビはUSBにメモリをつけると音楽が聴けるのですが4GB以上のデータが読み込めないのです。当然4GBのメモリを買うしかないのですが、このまま容量の大型化が続くと、「512MB」のメモリが現存しないように、4GBのメモリの市場での存在意義がなくなってしまうのでは・・・とちょっと心配しています。

 メモリーの大型化は大いに結構だと思います。容量気にせずドンドン保存すればいいのですから。でも、スキマを埋めるような、低容量のデバイスも作り続ける意義は十分あるのではないでしょうか?