上杉アイクの机上で空論

独特の感性で森羅万象を考えます

なぜエヴァの人々は「孤独」なのか?

 エヴァンゲリオンの登場人物をよく見てみると、碇親子とそれ以外の人々の描写に大きな乖離があります。
 それは、「物語内で描かれる人間関係」です。
 物語内2015年における主要人物と「物語内で描かれる人間関係」は、
 葛城ミサトセカンドインパクトで死亡した父親、「同居人」のペンペン
 赤木リツコ赤木ナオコ、「おばあちゃん」、23話で死亡した猫
 加持リョウジセカンドインパクト後の混乱期に、自身の命と引き換えに死亡した弟(貞本エヴァのみ)
 惣流・アスカ・ラングレー:幼少期に「発狂」の末自殺した生母、生母の自殺の後あっさりと再婚した父親、「表面上ではうまくやっている」継母 
 鈴原トウジ:1、2話で重傷を負った妹
 相田ケンスケ:父親(ネルフ関係者?)
 洞木ヒカリ:姉のノゾミ、妹のコダマ(←どちらもヒカリのセリフから歳が離れている)
 綾波レイ:×
 渚カヲル:ゼーレ
 以上がシンジや碇親子と関わりが深い登場人物で、一部を除き物語内で顔を出すことはありません。そしてそれ以外の主要人物は物語内でシンジと深くかかわっておらず物語内でその他の人間関係は描写されません。そして上記9人は物語の後半で、何らかの人間関係の破綻を起こします。
 葛城ミサト:ジンジを護送中、戦自に射殺される
 赤木リツコ:ゲンドウとナオコの分身たるMAGIメルキオールに裏切られてゲンドウに射殺される
 加持リョウジ:裏切りがゼーレにバレて何者かに射殺される。
 惣流・アスカ・ラングレー:戦果を挙げられない焦りとアラエルの精神攻撃が原因で昏睡状態に、その後復活するもエヴァシリーズに敗北
 鈴原トウジ:妹に高度医療を受けさせる引き換えにエヴァ参号機のテストパイロットになり、左足を失う
 相田ケンスケエヴァに搭乗することが叶わず、シンジにコンプレックスを告白し絶交(特に貞本エヴァで顕著)
 洞木ヒカリ:思い人が左足を失う
 綾波レイ:シンジの為に自爆
 渚カヲル:シンジを裏切り初号機(=シンジ)に殺害される。レイとともにシンジの心に大きな傷を与える
 まあ最後には地球上のすべての生物がLCLになるのですが・・・
  これをふまえてシンジの物語内の人間関係の変遷を見ると、面白いものが見えてきます。
 まずシンジは「自分には何もない」と感じている少年でした。真っ先に彼と関わりを持とうとしたのがミサトです。しかし、彼女もまた心に大きな空虚を抱えていました。その後トウジやケンスケと和解、ヤシマ作戦でレイとも仲良くなりました。彼女は人類補完計画の儀式において巫女や生贄の役割があり、ゲンドウが世界の全てでした。
アスカがミサトの家にやってきてからは夕方のアニメに相応しい賑やかな雰囲気になり、リョウジという人生の目標になるような大人も現れました。この辺りはシンジにとっても視聴者にとっても楽しいアニメでした。
 それが16話あたりから不穏な空気が流れ始めます。16話ではシンジがアスカを挑発した挙句に使徒虚数空間に取り込まれ、初号機救出のためにリツコはシンジの命を顧みない作戦を立案。ミサトとリツコ、レイとアスカがそれぞれ衝突します。17話では明言こそされませんがトウジがフォースチルドレンに選ばれてしまいます。ちなみにトウジの妹に関しての描写がありますが、トウジ自身は物語開始から19話のヒカリとの会話まで妹に関するセリフを言いません。そして18話、シンジはダミープラグに操られていたとはいえトウジの乗った参号機を大破させ、トウジに重傷を与えてしまいます。それからは観るのが嫌になるほどシンジの人間関係は崩壊します。24話で、ついに自分の意志で友達を殺します。
 ではゲンドウは?ゲンドウも2000年以降はセカンドインパクトの影響、そして最愛のユイは初号機に取り込まれて(本当は自分の意志で初号機に留まった)、文字通り物語世界全てを犠牲にしてユイと同化しようとします。
 こうしてみると碇親子は3人とも物語内のほとんどの人々に関係がありますが、それ以外の人間関係がほとんど描写されません。
 会社組織に例えてみます。実際の会社組織は、ある目的の為にいろいろな人々が集まっています。会社が軌道に乗っているときは会社に出社しやすくありませんか?しかし、何かの拍子に会社の空気が悪くなるとどうでしょう、人によっては出社どころか会社のことを考えるだけで嫌になりませんか?
 シンジが、特に7話以降物語内で自分の居場所を見出しますが、それはいわば会社内の人間関係です。他の人は会社以外でも人間関係がありますが、シンジはそれがありません。いわば地方から一人上京した新入社員が如く会社内の人間関係に依存しているようなものです。ゲンドウもユイも似たような人間関係です。レイやカヲルといった、いつでも自分に好意を持ってくれる人たちは、人間的な思考を持ち人間そっくりな外見をしている「お手伝いロボット」といえます。
 中盤までの楽しい雰囲気とそれ以降の重苦しい空気は、シンジとシンジ視点で物語を観ている視聴者に非常に強いある種の「不快感」を与えます。そしてTV版と劇場版の25話と26話に直接的な「教訓」だの「メッセージ」だのはありません。そしてシンジは空気の差に絶望感を徐々に覚え、そこに救いと思われたカヲルの裏切りと死。人類補完計画はこのような絶望感が必要であり、その絶望感はゲンドウが抱いた絶望感と同種だったのです。人は所詮は孤独なもので、その孤独を埋めるのがゲンドウの考えた人類補完計画だったのです。シンジに人類補完計画に必要な絶望を与えるために用意された舞台こそ新世紀エヴァンゲリオン第3新東京市で、シンジは人類補完計画を否定しますがそれは一人の決断が物語り全体を、いわば他の物語では絶対はみ出ることのない「物語のフォーマットそのもの」を否定したのではないでしょうか。
 そして一見バラエティ豊かでありながら表面をなぞったような人間関係は、既存の世界を壊し新しい世界を創るための、24話かけて描かれた前フリだったのです。