上杉アイクの机上で空論

独特の感性で森羅万象を考えます

FGO第2部クリアしましたよ~

 ・・・なんか大急ぎでストーリーを畳んだ感じが物凄いですね。

 確かに「謎」に関する種明かしはあったし、ストーリーとしてはかなり綺麗に終わったけど、これではまるで「種明かしの羅列」のような。

 そういえば今日ってストーリーにおける「あの日」だよね。

 

((((;゚Д゚))))

ライバルは蟋蟀フライだよ

くまのプーさん」が、2022年に著作権切れでパブリックドメインになったそうです。

 即ち二次創作の制限がほぼ無くなったのですが、流石映画本場アメリカ合衆国というべきか、今年、「くまのプーさん」をモチーフにした「プー あくまのくまさん」なるホラー映画が公開されました。

 あの「のほほん」という形容詞を擬熊化したようなプーさんがホラー映画!?

 と思っていたら、やっぱりというか、速攻で映画レビュー系ユーチューバーの格好のネタになっていました。

 僕も、映画の存在自体を、某ディズニーによって暗黒面に堕ちた男の動画で知ったのですが、「下手なホラーはコメディにしかならない」という事がよくわかる映画だなとは思いました。あと、動画でも触れられていますが、「野生動物への餌付けがどういう結果を招くか?」という注意喚起だった。のかもしれません。多分。

 

 現在、ネットで話題になっているのが、「日本ヴィーガン協会によるヒグマ保護のクラウドファンディング」です。

 一応、URLも載せておきます・・・

クマたちから学ぶ日本再生プロジェクト!(japanvegansociety 2023/07/25 公開) - 継続寄付 READYFOR

 要は、「クマちゃんたちが殺処分されて可哀想だから、保護するためにお金を集めます」というモノです。

 

 まあね、僕は好きですよ。クマ。

 少なくとも高山に行った時は、クマ牧場とティディベアエコビレッジに必ず足を運ぶレベルでは好きです。

 クマのぬいぐるみもいます。

 違法滞在者の名前が「クマラ」ってマジで喧嘩売ってるんですかね?

 

 しかし、ことこの活動については、一人のくま愛好家としては実にいただけない。

 「自然を守ろう」というスローガンを掲げるのは、きわめ正しい。しかし、クラウドファンディングのページ書いてある事は論外でしかありません。

 まず、「自己紹介」として、理事長の名前と経歴が載っていますが、「理事長は阪神大震災後、被災者でありながら合計120匹の猫を自宅で保護しました。」という一文。要る?コレ?

 被災直後に120匹の猫を一度に保護したのであれば話は別ですが、例えば、被災から10年くらい経った後に、10年くらいかけて保護猫活動をして、その保護した猫120匹だったとしても、この文章は成り立ちますし、そもそも「ヴィーガン」などというモノを掲げる連中ほど、こういった屁理屈を使って自身の功績を誇示したがります。

 と、のっけから怪しい活動ですが、読み進める度にツッコミどころの連続。

ついにヒグマも!クマたちの実態調査報告で、悪者扱いをやめさせる

 ヒグマと暮らした経験豊富なアドバイザーとともに北海道へ!貴重なヒグマの生態や調査報告書を、環境省や関係自治体、ご支援者の方に送ります!クマについて、あまりにも間違った報道が多い日本で、理解を深め、伝えましょう!クマ悪者にする報道に、私たちは憤りを感じます。

 それって日本ヴィーガン協会がやる事でしょうか?

 生態調査なんて、それこそ研究機関や環境省国土交通省等が、お金をかけて専門家が長い時間を使って丁寧に行うものであって、そういった学術実績が無い人たちが思い付きで行うものではありません。

 それに「ヒグマと暮らした経験豊富なアドバイザー」って誰の事でしょうか?

 ヴィーガン協会的には、「学術研究とは別のアプローチで調査する」とかの発想なのでしょうが、残念ながら、動物の生態調査なんて、取っ掛かりは大抵地元の人の証言取りなので、「地元のヒグマに詳しい人」の証言や経験を聞いても、それはもう昭和の時代にほとんどまとまっているものでしょう。

 そもそも「報道」ほど、ヴィーガン達の味方をしてくれた存在はいないでしょう。

 恩人にツバ吐く真似をしてはいけません。

 クマの生息地に昔から住む地元のお年寄りから、クマの痕跡は激減、クマを殺しすぎだと、多数の声を聞きました。(兵庫県、石川県、岐阜県、長野県)

 私たちは山主からの調査依頼でも、大きな生態系の破壊が進んでいる悪循環の現場を見ました。

 クマは奥山で人を避けて暮らし、森の循環をつくってくれていました。そのことに感謝もせず、奥山の荒廃で出てくるクマを、生息数が想定以上に多かったと、各都道府県は捕殺可能数をただ増やします。

 具体的に何件の「クマを殺しすぎだとの声」があったのでしょうか?クラウドファンディングの文章というのは、読んでくれた人に対する、言わば「営業文章」

 具体的な数字一つ出せば説得力が高まるというのに、なぜそれをしないのか?

 そして何より、兵庫県にも石川県にも岐阜県にも長野県もヒグマはいないっ!!

 昔からクマと共存している村で、クマの食べるものを育て棲み分けしている仕組みや、誤捕獲クマを放獣している自治体からその方法を学び、補殺ストップ訴えとともに、具体的にみんなで補殺しない仕組みが作れるようどんどん提案します。

 クマが居ても、都会のカラスのように、いちいち通報などしない、お互い距離感保っており、問題ない地域は少なくないのです。

 だからその「クマを放獣している自治体」って何処だよ!?

 しかし、ハンターがクマがいると知りやってくる、捕殺したい近隣とのトラブル等から、地域を公表できず、公の機関や大学の研究室では扱いにくい。

 そうしたところで、信頼関係の上調査協力いただき、クマが住める豊かな日本に戻そう!

 まるでハンターが殺処分数を競っているような書き方ですね。

 近代以前から、人と近い野生動物は適切に管理することこそ重要とされ、「マタギ」と言われる、ヴィーガン協会的には「ハンター」がその役目を担っていました。「赤ずきん」に登場する「狩人」だって、本来はそういった野生動物の管理や、野生動物の被害に遭わないようにするのが仕事であって、オオカミを見境なく殺処分している訳ではないのです。そういった、里山には絶対に必要な職業を差別しておいて、何が「信頼関係」でしょうか。

クマの保護

野生のクマを育てて森に帰す海外の活動家に助言いただきます。

クマ飼育には県の許可が必要であることから、親を殺されて保護が必要な赤ちゃんクマも現実見殺しにされています。

民家から離れた森で、クマを愛する人たちが責任を持って飼育できるなら、保護は不可能ではありません。山を提供したい方は少なくないのです。

かわいそうな赤ちゃんクマを飼育して、違法であるからと殺してしまう残酷な事例がありました。野生動物保護ができない日本を変えて行きましょう。

野生のコグマを育てて森に還した経験豊富な、クマ部アドヴァイザーから預かる申し出があります。

国も県もみなさんの意向を大事にします。クラファン支援者数がとても大事です。

みなさんの力がないとできません。活動は随時ご報告いたします! 

山の環境についての説明はこちら https://vegan-japan.info/Start/クマ部

一般財団法人日本熊森協会、私たちは一切この団体の活動に関わっていません。この団体への批判は直接この団体にされてください。

 「アドバイザー」なのか「アドヴァイザー」なのか安定しなかったり、「されてください」というやや不自然な日本語はこの際どーでもいいです。

 怒涛の「クマちゃん可哀想」からの、「文句はこっちへ」と丸投げ。

 申し訳ないけれど、同じ分野で活動する団体というのは、できるだけ協力してもらわないと、不便を被るのは大多数の一般人です。

 僕も、「日本心電図学会」と「日本不整脈学会」が喧嘩別れしたせいで、認定資格の名称について所属する医療機関の医師に長々と申し開きしないといけない事態になりました。

 ここで頭を下げて、「一緒に頑張りましょう」と何故言えないのか?言い出せない事情でもあるのか?

 また、自然環境の保全の大切さについても書かれてはいるのですが、それなら、なぜ森林伐採の象徴でもあり、シナが絡んでいるメガソーラーや風力発電による大規模伐採を何故非難しないのか?

 クラウドファンディングで得たお金で自分達で山を買って、伐採を阻止してクマ達の居場所を確保しようとしないのか?

 そもそも自然を守る気があるのか?

 なぜそれをヴィーガンがやらなければならないならないのか?

 クラウドファンディングのページからは読み取れませんでした。

 

 確かに、クマに限らず、野生動物による獣害というのは、大規模開発により、彼らの生活エリアに人間が入ってしまった事が原因である事は認めます。

 だからこそ、森林の保全という観点で、林業の活性化による里山整備や、環境負荷を無くす都市づくりを行い、クマと人間の不幸な接触を予防することこそ重要なのです。

 

 良い例が「三毛別羆事件」でしょう。

 大正4年に発生した熊害で、最終的に死者7名を出してしまいましたが、そのきっかけは、羆が開拓集落に干してあったトウモロコシを食べた事で、人間と接触してしまったからでした。

 人間を知った野生動物は、二度と本来の「野生」には戻れません。

 次第に人間を怖がらなくなった羆は、最終的に一人のマタギによって殺処分されましたが、山狩りとして、のべ600人もの「ハンター」が動員されたそうです。

 

 どうもヴィーガン協会や、「世田谷自然左翼」の面々は、熊や羆をぬいぐるみみたいなクマちゃんだと、熊や羆のいる山林を100エイカーの森のようなところだとしか思っていないようです。

 確かにぬいぐるみのクマはかわいいし、熊そのものも、見ている分には可愛らしいです。

 でも、そんな可愛らしい熊も、生態まで可愛らしい訳ではないのです。

 なのに、自分達が熊に優しくすれば、熊も自分達に優しくしてくれると思い込んでいるから、こういったトンチンカンな事業を、しかもクラウドファンディングで行う。

 ぶっちゃけ、猫がおとなしいのは人間の近くで生まれ育ったからだけであり、例えば、イリオモテヤマネコのような「野猫」は、人間でも平気で怪我させに来ます。愛玩動物や動物園、水族館で眺める動物というのは、ただ「おとなしく育った」だけに過ぎないのです。

 だからこそ、野生動物には「接触しない」が鉄則。そして、接触しないためにも森林を保全する。里山を守る。無駄な伐採、特にシナが絡むようなメガソーラーや大規模風力発電のようなアホみたいな伐採はしない。というのが大切なのです。

 

 最後に、「クマちゃん可哀想」という人達に関する有名なコピペを紹介します。

ある日、マタギのところへ動物愛護団体の人が名刺を出して
「なんで熊を殺すのですか」と抗議にきたそうな。
マタギの爺さん曰く「生きていく糧と伝統」と説明するも、
愛護団体側は「動物を殺すなんて(以下略)」と聞く耳を持たない。
それから連日抗議に来るので、煩わしく思ったマタギは知人に頼んで一芝居をうつことにした。
今日も今日とでマタギに難癖を付けにやってきた団体様。
そのタイミングを見計らい、近所の知人がやってきて「里に熊が出てきた様だ、心配だなー」と一言。
それを聞いて青ざめたのは団体の連中。
どうやらマタギをこらしめに来たはいいが、熊に襲われることは想定してなかったようだ。
恐怖を感じた団体の連中は、マタギの爺さんに「私が熊に会っても・・・安全に帰れますでしょうか?」
と振るえながら尋ねる始末。
そんな情け無い連中に、マタギの爺さんはこう返してやった。
「熊に遭ったら、あんたの名刺を見せればいいじゃないか。動物愛護団体だとわかれば熊も襲ってこないだろう?
襲われてもそれはそれで、愛すべき動物の糧になれるんだから名誉なことじゃないか。
それとも、まさかあんたら俺を警護につけて、
『私達の安全のために、熊が襲ってきたら撃ち殺してください』
なんて言うつもりじゃねぇよな?」

税金炎上取引 ユニティ

 「ゲームエンジン」というものがあります。

 

 SFCの第4世代ゲームコンソールまでは、「少数のゲームクリエイターが短期間で作成した」という逸話のあるゲームも多く、「ファイナルファンタジー」や「MOTHER 2」、「E.T.」等は、良くも悪くも有名でしたが、N64やPS、SSが登場した第5世代以降、顕著になった「ゲームの複雑化」によって、ゲーム事情は大きく変化しました。

 ゲームのコンピューターとしての性能が上がった事によって、プレイヤー側にとって「やる事」が多くなってしまい、結果としてゲーム離れが起き、ゲームが以前のように売れなくなってしまいました。そして、ゲームクリエイターにとっても、ゲームにアレもコレも詰め込めるようになった反面、ゲームコンソールの性能に依存してしまい「アレもコレも詰め込まざるを得なく」なってしまったのです。

 特に第5世代~第7世代のゲームは、猫も杓子も「美麗なグラフィック!」「広大なフィールド!」「豪華声優陣!」謳っていましたが、それはゲーム制作において手間のかかるものばかり。制作に莫大なお金がかかるのは当然として、スタッフの人数も激増したり、時間もかかり・・・ビッグタイトルになれば、年単位で、百人単位のスタッフが、億単位のお金をかけて作るのが当たり前。それならばと、低価格でシンプルなゲームを販売すれば「内容スカスカ」と文句を言われる。

 当然、各社がマーケティングをしっかりと行い、少なくとも元は取れるようにゲームを作るのでしょうが、膨大なリソースがゲーム制作というのは、どうしても「売ってみなければ分からない」部分があり、年々、そのリスクは加速度的に高まる。

 そんな中で活用されているのがゲームエンジンです。

 

 極めて簡単に言えば、ゲームエンジンとは「ゲームのテンプレート」です。

 マリオのようなアクションゲームを作りたい、ドラクエのようなRPGを作りたい、そんな時に、イチからプログラムを打ち込むよりも、アクションゲームならアクションゲーム用の、RPGならRPG用の、テンプレートのようなソフトがあり、その枠組みの中で、キャラクターやマップ、音声・音楽、固有の動き・・・といったものを当てはめていくことで、ゲーム作成のリソースを、ある程度軽減できるのです。

 当然、作り手の技術によって、同じゲームエンジンから全く別のゲームを作ることも十分可能ですし、逆に、今まで体力のある組織でしかできなかったゲーム制作の裾野が広がり、中小のゲーム会社から独創的がゲームが発売される事も増えてきました。「アンダーテイル」なんかはその代表ですね。

 

 さて、そんな便利なゲームエンジンにも複数あり、メーカー内製の、最近リメイクのが多いバイオハザードシリーズで使われている「REエンジン」や、「Ⅴ」以降相当物議を醸した感があるメタルギアシリーズで使われている「FOXエンジン」が有名ですが、やはり、ゲームエンジンの2第巨塔と言えば「Unreal Engine」と「Unity」です。

 どちらも広く使われていますが、Unreal Engineのウリは何といっても綺麗なグラフィック。所謂「ビッグタイトル」に良く使用されています。逆にUnityのウリは使いやすさ。ビッグタイトルは勿論のこと、スマホゲームにも活用されていますし、小規模のゲーム制作にも活用される傾向があります。

 特にUnityに関しては「原神」や「ウマ娘プリティダービー」、「ポケモンGO」と、非公開のものも含めれば、かなりのゲームに使われていますし、Unreal Engine共々ゲーム以外にも、アニメ等の映像作品にも、時にビジネスソフトでも使われている事も多く、今や、ゲームエンジンは我々の生活になくてはならない存在になっています。

 

 さて、そんなゲームエンジンの代表格の一つのUnityに、とんでもない騒動が起こっています。

 「ITmediaNEWS」によると、

統合開発環境「Unity」の新料金体系「Unity Runtime Fee」に、多くの開発者が反発している。2024年1月以降、従来からの定額(月額または年額)料金に加え、一定規模以上のゲームから、1インストールごとに料金を徴収するというのだ。

 米Unity Technologiesは、新料金への反発があることを認めつつ、「顧客の9割以上は影響を受けない」「課金は1回きりだ」などと説明している。

 Unityはこれまで、学生や趣味の開発者向けに無料で利用できる「Personal」、プロの個人やチーム向けの「Pro」(月額2万4420円/年額26万7960円)、企業向け「Unity Enterprise」(個別見積もり)などを提供してきた。

 Unity Runtime Fee導入以降は、ゲームの収益とインストール数が一定(Personalなら20万ドル/20万インストールなど)を超えている場合、月額/年額料金に加えて、新規1インストールごとに最大で0.2ドル(約30円)が徴収される。

 突然発表された新たな“Unity税”に開発者は反発しており、Unityから別のゲームエンジンに移行すると宣言する企業も出ている。

 反発を受けてUnity Technologiesは、Xに釈明を記載。「顧客の9割以上は影響を受けない」「成功しているクリエイターにとっても、1回限りの料金であり控えめな金額」「再インストール料金や体験版には料金はかからない」などと説明しているが、開発者は納得していないようだ。

 まあ、要は「Unityを使ったゲームで儲けている会社は、1ダウンロード毎に最大30円くらい払ってね」とUnityを作った会社が言ってきたってことですね。

 

 このニュースを聞いた時に、真っ先に思い浮かんだのが、大手ゲーム会社への影響。現在では、大手ゲーム会社もスマホゲームの課金が重要な収益源となっていますが、スマホゲームというのは、圧倒的多数の無課金プレイヤーが遊べる環境を、一部の課金者が維持しているという、コンシューマゲーム市場からすれば異常としか思えない構造が一般的です。しかも、最近のスマホゲームですら、ゲーム制作するだけで億単位のお金は平気で必要ですし、ゲームの環境を維持するための設備やスタッフといった「維持費」というコンスタントなリソースが必要です。そんな構造のスマホゲームを運営している会社に「1インストール毎に30円をUnityを作った会社にライセンス料を払ってね」なんて通達した日には・・・どうなるのかなんて、火を見るより明らかです。

 また、コンシューマゲームにとっても対岸の火事ではありません。

 基本的にコンシューマゲームはあらゆるリソースが必要で、様々な職種の会社がそうであるように、多くのゲーム会社では「シリーズものの1作目ででた収益を使って2作目を作る」といった制作体制が普通です。それなのに、ダウンロード販売で同様のライセンス料を払う事になれば、ダメージは決して小さくないでしょう。

 何より、小規模な制作体制でありながら、創意工夫を凝らしてヒットしたダウンロード販売専用ゲームにとって、新たなライセンス料は大きな痛手になります。何せ、皮肉なことに「ヒットすれはするだけお金がかかる」仕組みなのですから。

 それ以外にも、「Unityを作った会社の幹部が、新料金発表の直前に会社の株を全て売却していた」という完全に論外な情報まで出てくる始末です。

 

 また、「ゲームのダウンロード数に対してのライセンス料」というのも厄介な話です。

 ゲームをダウンロードできるサービスと言えば、「グーグルプレイ」や「アップストア」、「ニンテンドー eショップ」や「プレイステーションストア」や「steam」等、それなりの数がありますが、例えばそれらのサービスのダウンロード数をカウントするのであれば、スマホゲームのリセマラをやられただけで会社は大打撃ですし、複数端末での複垢行為も十分すぎる影響があります。なら「リセマラ行為はカウントしません」となった場合、少なくとも紐づけされているアップルIDやグーグルアカウントは第三者の目に晒されますし、ただでさえ個人端末の走査への疑念が強い特亜系のゲーム会社であれば、ここぞとばかりに個人情報を吸い上げるでしょう。

 所謂「中華タブレット」の中には、グーグルプレイではなく、如何にもなアプリのダウンロードサービスがプリセットされていますが、そこからゲームをダウンロードするのは、それは「勇気」でも「蛮勇」でもなく、ただの「愚行」ですし、そこですらダウンロード数の提供を受けるのであれば、Unity自体も相当「黒い」黒い事になってしまうし、ダウンロードサービス側でダウンロード数をカウントするのあれば、制約が無くなるのは最早「野良アプリ」だけとなってしまいますし、そんなアプリをダウンロードするなど「愚行」を通り越して「破滅願望」です。

 また、「ニンテンドー eショップ」や「プレイステーションストア」や「steam」で相当問題になっている、粗製乱造されたゲームには何の影響もないのも問題です。

 Unityの一番のウリはゲーム作成のし易さです。また、UnityやUnreal Enginといったメジャーなゲームエンジンには、「アセット」と呼ばれる様々な専用素材が販売されていて、例えば「ゲーム画面に雰囲気のあるオブジェクトが欲しいけど、自分では作れない」という時は、アセットを買って使う事もできます。

 そのため、小規模な開発環境、ひいては個人ですらゲームを作れてしまいます。

 大きなゲーム会社では作れないような発想を形にするために、個人が作ったゲームというのは、ゲーム自体の評価は良くないかもしれないけれど、努力はしている、言わば「善意のゲーム」です。

 では「悪意のゲーム」とは?

 ゲームエンジンや上記の「アセット」を買って使う事は、決して悪い事ではありませが、なら、ゲームエンジンとアセットを買い、それを「ゲームっぽく」組み合わせて、極めて短時間でゲームを作って、それを100円とかの異常な安い値段で売って、少数の安さにつられた人が買ってプレイして、「まあ、100円ならこんなものか」と納得はして特に文句も言わず、ゲームの「作り手」も元は取れる・・・こんな「兎に角最低限の手間でゲームを作って、それを売って元を取って」というサイクルを繰りかえす「ゲーム制作者」が、しかも少なくない人数が存在してしまっていて、そういう人たちが作る「ゲームエンジンとアセットだけで作ったゲーム」を「アセットフリップゲーム」と呼び、「悪意のゲーム」なのです。

 「ニンテンドー eショップ」で、時計のようなサムネイルのゲームが「それぞれ別のゲーム」として、一画面に大量に表示されたことがあり、ゲームファンの間で深刻な問題としてとられました。

 結局、ダウンロード販売によるライセンス料が発生しない、アセットフリップゲームばかり売る制作陣のみ、という事になってしまいます。

 

 僕は大なり小なりゲーム制作に関わる人たちに対して、リスペクトを持ち続けています。

 馬場英雄のように、ブログで非難することもありますが、それも、「ゲーム制作に関わっているのに、なぜそんな所業ができるのか」という思いがあるからです。

 ちょうど社会人になって、Wiiという第7世代のゲームコンソールが表れて、ゲーム制作に関わっている人達だって、みんながみんな高い志を持ってゲームを作っている訳ではないことも今は十分理解しています。

 馬場英雄のような問題人格の持ち主だってゲーム業界にはいるし、「ソニックザヘッジホッグ」という名作を生み出した名クリエイターの中裕司氏が、「バランワンダーワールド」という駄作を生み出してしまった挙句インサイダー取引で逮捕されてしまうという、任天堂とは立場が違えど尊崇の念を持っていただけにとても悲しんだ事例もあります。最近はスクエニコナミ等、過去に「名作を次々に生み出した」はずなのに明らかに迷走している会社も少なくありません

 それでもやっぱり、ゲームを作っている人たちはすごいと思っているんです。

 「自分の思い描いた事」を形にするって、とてもすごい事なんです。何かしらの制約があって、「自分の思い描いた事」とは程遠いが出来上がってしまったとしても、それでも「形を作り上げる」ことは、誰にでもできる事ではないんです。

 例え労働のなかで、ゲームに対する思いが変わってしまったとしても、それでも「ゲームを作り続ける」という事自体が、ゲームファンとして、リスペクトしたいと思えるのです。

 それなのに、今回のUnityの件は曲がりなりにも真面目な理由でゲームを作っている人に対しては影響があって、ライセンス料が確実に発生しないのは、ゲームに対する理念も情熱も創意工夫もなく、利益の為だけにアセットフリップゲームを作っている人達が圧倒的に多く、「善意のゲーム」を作っている人達も批判に巻き込まれてしまうだけなのです。

 

 「次からはUnityを使わない」という声明を出すゲーム会社もありますが、シリーズモノだったとしても、別のゲームエンジンをイチから使うのは相当の負担でしょうし、Unityを使った既存のゲームのDLCを別のゲームエンジンで作るのも現実的とは思えません。

 そして、ゲーム会社の負担はゲームファンにも、必ず、何らかの形で降りかかってきます。 

 

 上記のインサイダー取引は論外として、Unityを作った会社にも言い分があるとは思いますし、会社である以上、その言い分を100%否定することはできません。

 でも、ゲームを作ったり、楽しんだりする、ゲームに関わる全ての人に対しての影響が余りにも大きく、「影響受けない」人の大多数は、ゲームに関わる全ての人にとって有害な、排除すべき存在なのです。

 ゲーム業界にとっては、正に「誰も幸せにならない」Unityのライセンス料の改定。

 他のゲームエンジンを作っている会社の出方次第では、ゲームの定義すら変えてしまうかもしれません、

ケッタマシーン零式

 岐阜県の中高生はまだ自転車の事を「ケッタ」と呼ぶのでしょうか?

 

 実は、以前から自転車である程度の距離を走ることがあったのですが、最近になって、また自転車に乗るようになりました。

  というのも、最近、自転車に乗る時は近所を周る時くらいであり、ガソリン代節約代わりにしか考えていなかったな~と、何とな~く思ったのです。

 なので、試しに近所を30分ほど自転車で周るってみる事にしました。

 これが全ての間違いでした・・・

 

 ぶっちゃけ、めちゃくちゃハマってしまったのです。

 自転車での長距離走行自体はそこまで難しくないのですが、そこに「目的地」を加えてしまうとあら不思議、一つの趣味に早変わりしてしまう事に気付いてしまったのです。

 例えば、僕が毎月通っている精神科は、自宅から8kmほど離れていますが、そこまで自転車で行くだけでも達成感があり、また、いつもは自動車では入れないような場所に行くと、自動車道路から一本隔てた、距離にして50mも離れていない場所で意外な発見があって、その時に、今までの趣味では余り感じなかった高揚感は、本当に心地いいのです。

 また、別の時は「如何に目的地まで早く、最短ルートを進む(当然交通ルールは厳守)」のを目標にしたりと、その楽しみ方も広がり、僕が陥りやすい心理的視野狭窄の予防にもなる、実に楽しい趣味と早変わりしたのです。

 この感覚、ブレワイやゼノブレイドで試練の祠やランドマーク、時に秘境ポイントを見つける感覚と、水泳でノルマを達成した時の感覚を両方感じているのに近かったりします。

 別にスキップトラベル機能があるわけではないけれど、やっぱり僕はどこかで、冒険や探索が好きなんだな~と自覚できる、そんな自転車に、これからもどんどん乗って色んな所に行ってみよう!と思った次第です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ・・・・で、何が「間違い」だったのかと言えば、

 「距離感がバグる」という重大なデメリットがあるからです。

 短期間に大きな買い物が続いてしまうと金銭感覚がバグってしまったり、任天堂のゲームばかりプレイしてしまうとサードパーティのゲームがほぼクソゲーになってしまったり、そんな感じで、例えば、地図サイトで目的地までの距離を調べて「7km」とか出ると、「自転車で余裕」という、ややトチ狂った発想をしてしまうようになってしまいました。

 少し前になると、「往復20kmならイケる」と思ったら、寄り道しまくった挙句炎天下の中4時間自転車をこぎ続け、復路も中盤という頃に、信号待ちで片足を着いたときに、明らかに虚脱と震え、要は熱中症になりかけている事に気付いて、「流石にやりすぎた」と反省する事態に。

 確かに自転車は非常に魅力があります。

 しかし、僕の場合、どうしても「のめり込んだら一辺倒」になってしまい、しかも、自転車の場合は影響がモロに体へのダメージに繋がってしまうのです。

 

 やっぱり、過ぎたるは猶及ばざるが如しだな~

リメイクの願いが叶う頃 その後

 世の中には原作者と版元が揉めた創作物が多数存在します。

 

 任天堂信者的には「ヨッシーのクッキー」や「ティアリングサーガ」を挙げざるを得ないのですが、やはりこの手の話は漫画や小説では枚挙に暇がありません。

 特に近年では、原作者自身が情報を発信することが容易なため、様々なトラブルが明るみに出ています。「しろくまカフェ」や「くまみこ」、「鋼の錬金術師」等、アニメ化の際に原作者から疑義を呈された話は良く聞きますし、「あさりちゃん」や「セーラームーン」の様に、後年、原作者と版元のトラブルが発覚した事もありますし、この手の話で「キャンディキャンディ」や「うる星やつら」は必ず話題に上がります。

 

 さて、以前のブログで「元の方が良かった」と書いた、「思ってたんと違う!」状態だった「波乱と海原」が届いたので、早速プレイしました。

 「自身の所有物である」ことや「カードをスリーブに入れてプレイできる」ことで、面白さはそのままに、気兼ねなくべたべたとカードを触りながらテキサスショーダウンをプレイできるという、事情を知らない人からすれば、何を言っているのか解らないと思いますが、「レアなボードゲームでプレイする」ことの恐ろしさの片鱗を味わった方なら、何となく解かっていただける安心感を覚えました。

 「アートワークやフレーバーの大幅な変更」という、非常に賛否が別れる話題がありながらも、それを補って余りある恩恵を感じる「波乱と海原」ですが、パッケージ写真を見たり、商品説明文の「テキサスショーダウンのルールでもプレイできます」という文言を読んだだけでは、リメイクのにあたって、蛇足な行為に及んでしまったを追加してしまったように思えます。しかし、プレイしてみて、というか、その前にカードをスリーブに入れつつ説明書を読んだら、波乱と海原やテキサスショーダウンについて、僕が余りにも軽薄かつ浅慮な認識を持っていた事が解りました。

 

 波乱と海原には、テキサスショーダウンに相当する「基本ルール」の説明書の他に入っている「選択ルール」の説明書には、はじめに「背景」なる項目があり、曰く

・「波乱と海原」は、初めは、ゲームデザイナー「マーク・メジャー氏」の同人ゲームとして、「波乱」という名前で世に出た

・2015年に「Amigo Games」が商業ゲーム「テキサスショーダウン」として売り出したが、その際、意見の相違により、Amigoはマーク・メジャー氏が意図していないルールを作った

・本来のルールでは、各スートの最上位札(以下、説明書に倣って「フェイスカード」とします)をプレイしたら、そのスートのカードは「0枚」とみなされる。ただし、全てのスートが「0枚」になってしまった場合、スートを無視した数字比べになるという、劇的なゲーム展開を想定していた

・フェイスカードでトリックをとっても、リードプレイヤーは選べない

という内容でした。

 テキサスショーダウンの特色の一つのに、「フェイスカードでトリックを取ったら、リードプレイヤーを選べる」というものがあります。トリックテイキングゲームにおいてリードプレイヤーを選べるという事は、生殺与奪の権を得るのと同じ!

 まさにテキサスショーダウンの醍醐味とも言えるルールですが、その醍醐味を真っ向から否定したり、「Amigo Games」と表記した後に、意見の相違を経て「Amigo」という表記になったりと、日本語訳ながら、文の端々からひしひしと私怨を感じる「背景」です。

 

 2015年、自身の考案したゲームが商業ゲームをして売り出されるというのは、それだけでも名誉なことでしょう。しかし、「どのように売り出すのか?」という選択権は版元であるAmigo Gamesが決めることです。Amigo Gamesとしても、「より多く売れるにはどうすれば良いか?」を考えてテキサスショーダウンの形で売り出したのでしょうが、マーク・メジャー氏にとっては、まさにフェイスカードでトリックを取られた時の如く生殺与奪の権を握られたも同然。しかも、そんな自身の意図しないテキサスショーダウンが未だに高値で取引される人気ゲームになってしまうとは、実に納得いかなかったでしょう。

 自分の意図しない行為や成果で評価を受け、本当の意図は忘れられる。

 それだけでも遣る瀬無い事ですが、版権が移って自身の意図を表明する絶好のチャンスが訪れても、それでも自が意図しない「成果」や「評価」を受け入れる。

 俗人ならば、本来のルールを「基本ルール」にして、テキサスショーダウンのルールを「選択ルール」にするぐらいの措置をしてしまうでしょうし、説明さえすれば、「それならば止む無し」と多くの人が思うほどの「背景」です、しかし「プレイヤーが何を求めているのか」を第一に考えて、「基本ルール」を変えなかった。

 誰にでもできる事ではありません。

 

 恥ずかしながら、僕自身、「自身のやりたいこと」が理解されない、評価されない、しかも、僕の忌み嫌っていた「成果」が評価される事に、極めて長い間悩んでいます。

 そんな僕が「背景」を読んで、マーク・メジャー氏が感じたであろう遣る瀬無さ、納得のいかなさ、それでも尚、「多くの人は何を求めているのか」を考えて「波乱と海原」を世に出したかを考えた次第です。テキサスショーダウンは好きですが、波乱と海原を見て、「余計な事をするな!」と到底書けなくなりました。

  

 しかし、それでも僕自身に言い聞かせ、そして、自身の意図が認められない人達に伝えたい。

 必ずチャンスは巡って来るから、道を誤ってはいけないと。そのチャンスが巡って来た時には、謙虚に「今では何が評価されていたのか」を考えようと。

 

 そして

 

 恨みはその時に嫌味という形で存分に晴らしましょうと(爆)

リメイクの願いが叶う頃

 世の中には疑問符が付く続編やリメイクが多数存在します。

 

 任天堂信者的には「スターフォックスアサルト」や「黄金の太陽 漆黒なる夜明け」、「ファイアーエムブレム 暁の女神」辺りは挙げざるを得ないですが、この手の不満は、人それぞれ多数存在しているでしょう。「FF7リメイク」なんかも評価が割れているし、FFファンの友人も「FF10ー2は蛇足だった」とこき下ろしていました。「テイルズオブシンフォニアHD」とかも、任天堂信者はおろかゲームファン全体に喧嘩を売っているレベルの劣化移植ぶりでした。

 アニメにもそういう話は多く、僕が観たことあるアニメでは「ぼくらの」みなみけおかわり」は、やっぱり酷かったエヴァはマジでもういいですが、中でも腹が立ったのが「ハクション大魔王2020」です。

 「ハクション大魔王」は小学生の時に再放送していたのを観ていたので、それなりに思い入れというか、やっぱりタツノコプロを代表するラップスティックコメディの名作であるという思い出があったので、何気に楽しみにしていたのですが、どうもアクビちゃんのキャラデザで力尽きてしまったらしく、お仕事紹介アニメに成り果ててしまうとは思っていませんでした。更には、「100年間は魔法の世界に封印されるため、かんちゃんには二度と会えない」という、ギャグアニメにあるまじき涙腺崩壊の最終回だったのに、まさか50年後にかんちゃんと魔王、アクビちゃんが再会するとは!あの涙無しでは語れない最終回は、一体何だったのでしょうか!!

 そもそも「近年のタツノコプロは制作能力が下がってしまった」と言われるように、多分、2004年の「CASSHERN」辺りから明らかに迷走を初めてしまい、「ガッチャマン」や「タイムボカンシリーズ」を生み出し続けたあのタツノコプロは一体どこへ・・・といった感じでしたが、ハクション大魔王の、過去の勢いは到底感じられない出来には本当に落胆しました。

 

 まあ、「過去の作品を現代によみがえらせる」というのは、そう簡単ではないとは思います。スタッフも時世も「過去」ではなく、権利関係の問題も絡む場合があります。仮に現在考えられる中で完璧な制作体制があったとして、過去の作品が好きだった人の大多数を納得させられる、喜ばせる作品を作ることは難しいでしょう。仮にFCの「ドクターマリオ」をSwitchの性能をフル生かして、「色んなアイテムを、グラフィックを、連鎖したら『猫ふんじゃった』のリズムと一緒に『ば~よえ~ん』とかのボイスを・・・」とかやっていたら、それはドクターマリオぷよぷよと何かが合体事故を起こした何かであってドクターマリオではありません。

 近年は、過去IPの掘り起こしが盛んですが、続編やリメイクを作る際は、作り手には「最新の技術や手法を投入すれば面白くなるわけではない」という事を念頭に入れていただき、受け手も「別物になってしまう可能性は極めて高いのだから、過度に期待してはいけない」という事を念頭に入れないといけないと思います。

 

 さて、有り難い事に、ゲームにしてもアニメにしても、ある程度メジャーな作品や権利関係が複雑でないものは、配信等の形で、ある程度安価で原作のまま楽しめる環境が整っていますが、そうもいかないのがボードゲームです。複製や配信の方法が確立しているゲームやアニメと違って、ボードゲームはモノが必要です。それに権利関係もあるので、一度販売が終わってしまうと、少なくとも新品で手に入れるのが極めて難しくなってしまいます。

 現在は継続して販売されているボードゲームも大分増えてきて有り難い限りなのですが、正直、僕が定価で購入したボードゲームの中にも、販売終了でプレ値になってしまったものも多いです。そのため、過去のボードゲームが欲しい時は、再販を待たなければいけないのですが、再販の際、版権が別の会社になってしまうことも珍しくありません。

 個人的に疑問符が付いたのが、「スカウト」です。

 初版は「ワンモアゲーム」が販売していたのですが、のちに「オインクゲームズ」に権利関係が移ったらしく・・・

 しかも、ワンモアゲーム版はまるっきりノンテーマだったのが、オインクゲームズ版では「サーカスの団員を集める」という、フレーバーがついていました。

 いや、大富豪みたいに基本手札を無くすゲームなのに、「仲間を集める」っていう設定ってどうなの?とは思いましたが、そこはオインクゲームズ。カード自体は何とか無味無臭なテイストを維持していました。

 

 さて、アナログゲームの中でも一大ジャンルである「トリックテイキングゲーム(以下トリテ)」は、その指向性の多様さから、「最高傑作」が複数あるジャンルでもあります。トランプを使うシンプルな「ハーツ」やビット数の読みが肝心な「スカルキング」、手札のマネジメントに神経を使い続ける「5本のきゅうり」等、それぞれ、トリテの要素に特化した名作なのですが、その「最高傑作」の一つとして、「テキサスショーダウン」も挙げられます。

 「テキサスショーダウン」の魅力は、何といってもコンポーネント。3枚のカードが弾丸で打ち抜かれるているそのイラストと「ショーダウン」という名前から想像するのは、西部劇のワンシーン

 タンブルウィード転がる砂を固めた道の上、カウボーイファッションに身を包んだ漢たちが互いに銃を向け合う。彼らの目的は金か酒かはたまた女か、空高く打ちあがるコインが木の床に落ちた音がした瞬間に放たれる弾丸。その場での善悪は、相手より早く引き金を引いたか否かのみ。

 命の価値など今を生きている僕たちには想像もつかないほど軽い殺伐とした雰囲気のなか、繰り広げられる命のやり取りを感じられます。

 そんな緊張感溢れるコンポーネントに反して、ルールは至極シンプルでとっつきやすく、「もう一戦もう一戦」とついつい遊んでしまう中毒性があります。

 そんなテキサスショーダウンですが、長らく入手困難な状況が続けていました。どこの通販サイトへ行ってもプレ値の中古品があるのみ。それすらも出品と同時に売れてしまうので、到底手が出せる代物ではありません。ボドゲカフェやボドゲ会に置いてある「入手に苦労した」テキサスショーダウンを、「汚さなように、折り曲げないように」と別の意味で緊張してプレイしていました。頼むから、スリーブに入れてくれと。

 そんなテキサスショーダウンが、遂に、遂に再販が決定したのです!!当然、ボドゲ仲間は皆即予約。僕も急いで通販サイトを覗いたのですが、そこに表示された商品画像が・・・

 ・・・ゑ?

 確かに、版権が他社に移ったというのは知っていました。新ルールも追加されているようですが、テキサスショーダウンのルールでも遊ぶことができます。

 なのですが・・・いや、なんだろう?このコンポーネントは?

 確かに、何の気兼ねもなくテキサスショーダウンをプレイ出来るのは素晴らしい。手元に、テキサスショーダウンが遊べる環境があるのは素晴らしい。

 でも、でも確かに感じる、「コレジャナイ感」

 テキサスショーダウンはもっと殺伐としているんだよと、あくまで人間対人間の「ショーダウン」なんだよと、なんでスカルキングのような、天災の押し付け合いになっているんだよと。

 

 確かに過去の作品をリメイクするに当たって、当時にはない、様々な制約があるのは理解しています。その上で、こういったコンポーネントになってしまうのも、非難してはいけない事であると理解はしています。

 テキサスショーダウンさえ遊べれば、それでいい。受け手として、消費者として、ボドゲ愛好家として、こういったリメイクは非常に有り難い。むしろ天にも昇る気持ちです。

 でも、でも、敢えて書きたい。

 元の方がよかった

 と。

 

 まあ、予約したけど。