上杉アイクの机上で空論

独特の感性で森羅万象を考えます

チキチキSDGs習レース

 「SDGs」の文字が入った党派を掲げた元都民ファーストwの怪の東京都議会議員無免許運転で超失踪したことで、元々胡散臭かったSDGsの胡乱性がさらにパワーアップした感がある今日この頃。

 

 SDGsと「持続的な開発目標」の略であり、国連の広報ページによると、

1、貧困をなくそう

2、飢餓をゼロに

3、全ての人に健康と福祉を

4、質の高い教育をみんなに

5、ジェンダー平等を実現しよう

6、安全な水とトイレを世界中に

7、エネルギーをみんなにそしてクリーンに

8、働きがいも経済成長も

9、産業と技術革新の基盤をつくろう

10、人や国の不平等をなくそう

11、住み続けられるまちづくりを

12、作る責任使う責任

13、気候変動に具体的な対策を

14、海の豊かさを守ろう

15、陸の豊かさも守ろう

16、平和と公正を全ての人に

17、パートナーシップで目標を達成しよう

 

の17の項目で構成されているのですが・・・正直、どこから突っ込んでいいのやら。「中共に言ってくれい」で済むような話だと思うのですが、どこに日本が関与するところがあるのでしょうか?

 しかも売国マスゴミのHPも一応見回ってみたのですが、正直、上記の17項目の中でも、「環境対策」として太陽光発電を無理に推したり、「ジェンダー平等」としてLGBTwを紹介したりと、今までマスゴミ共が必死に主張していたものにSDGsをのっけただけのものばかりでした。

 一応、せっかく調べたので1~17までの突っ込みをブログにしていきたいと思ったのですが、今回は書く予定だった内容だけにしておきましょうw

 

 さて、SDGsのなかで売国勢力が推しに推し、圧しすぎてぶっ潰れている感じになっているのが「メガソーラー」です。

 最近でも、川勝が中共に媚びてメガソーラーを推進しまくったのが遠因で土石流が起きましたが、実際に「メガソーラー」というのはどこまで有効なのか?本当に環境に差優しいのか?については、「質の高い教育」どころか、「ほんの少しのリテラシー」があれば解ることなのです。

 

 まず、発電というのは異常なまでに効率が悪い行為であるを知るべきです。

 今までの「3大発電」、火力・水力・原子力というのは、根本的な原理は同じで、運動エネルギーを電気エネルギーに変えているのです。それが水力発電の場合は、水を高い所から低い所に流すことによる運動エネルギーでタービンを回し、火力発電や原子力発電では、燃料を燃やしたり核分裂核融合反応させることで莫大な熱エネルギーを発生させ水を沸騰させ、沸騰した水の運動エネルギーでタービンを回しているのです。

 しかし、これまた基礎的な理科のリテラシーを持っていれば解ることですが、運動エネルギーを全て電気エネルギーに変えることは不可能であり、大半が水の運動やタービンの「音」や運動により生じる「熱」といったエネルギーに変わりますし、火力・原子力発電の場合は、燃料が燃えることで「熱」「光」「排気ガス」、核反応でも「熱」「光」「放射線」等に変換され、その中の1部である「熱エネルギー」の1部をさらに「水の運動」に変えているだけなのです。

 これは太陽光発電にも言えること。

 もし太陽からの光エネルギーを100%電気エネルギーに変えることができるのなら、ソーラーパネルを見てもまるでブラックホールのようにそこだけぽっかりと漆黒の領域が広がるだけですが、実際はパネルの表面はハッキリと見えています。つまり、パネルに当たった光が電気エネルギーにならずに反射している証拠。また、熱エネルギーにも変換されているし、元々光エネルギーは「燃料」や「水の位置エネルギー」に比べてエネルギーとしての利用価値が極めて低いのです(この考え方を「エントロピー」と呼びます)。

 また、「光エネルギーが必要」ということは、夜はロクに発電できません。売国勢力は「蓄電池があるからいい」と宣っていますが、莫大な電力を蓄える場合、特殊な構造の、膨大なコストがかかる蓄電池が必要です。「メガソーラーの発電費用」に、この蓄電池の費用は含まれていないことが多いのです。仮に蓄電池の費用まで含めた場合の「メガソーラーの発電費用」は原発のそれと比べ物にならないレベルで高くなってしまうのです。「大量のエネループ」を用意すればいいってモノじゃないのです。

 そもそも自然界には「植物」という、太陽からの「光エネルギー」や「熱エネルギー」を利用し、更には地球温暖化の原因である二酸化炭素を吸収して成長する立派な機構があるのです。ビルの上ならまだしも、どっかの川勝のように森を切り開いてまでメガソーラーを作るのは「自分はアホです」と言っているのと同じです。

 

 更に「パネル内を自由に行き来している電子の流れが光を当てることにより一方通行になることで電位差が発生し電池として機能する」という太陽光発電の理屈上、光さえあれば発電する、もっと言えば「発電してほしくないときでも発電する」のです。それが土砂災害や地震が多い日本においては致命的な問題になります。

 そう、災害が起きてソーラーパネルが壊れても、その破片は勝手に発電するのです。そうなると、電気エネルギーが電化製品以外に流れてしまい、火災の原因になったり、被災者の方や救助に駆け付けたり片づけたりする人が感電するという被害が既に起きているのです。従来の発電所であれば災害にたいする安全対策はしっかりしていますが、メガソーラーに関しては、川勝の失策から解る通り。

 おまけにソーラーパネルや蓄電池の原材料は基本的に半導体です。もしソーラーパネルや蓄電池が破損した場合、大量の有害物質が環境中に流出することになります。安全対策もロクにしていないメガソーラーに事故なんかが起こった場合、有害物質は大量に流出して土壌はぺんぺん草も生えないレベルで汚染されるわ山火事で周囲の山は丸焼けになるわ災害対策に駆け付けた方は感電するわで、売国勢力が大嫌いな原発よりよほど質の悪い事態に発展します。災害が多い日本においてメガソーラーを作ることの難しさは明らかなのです。

 

 さらに、メガソーラーや蓄電池を作るには大量の材料も人手も必要です。さて、そんなものどこから手に入れているのでしょう?

 川勝の所業からも解る通り、中共です。中共では、かなり前から国家事業としてソーラーパネルを世界に輸出しています。で、ここからが問題なのですが、ソーラーパネルや蓄電池を大量に作るにあたり、チベットウイグルの方が大勢奴隷労働させられているのです。つまり、中共製のソーラーパネルや蓄電池を買ったら、それだけで中共の弾圧の片棒を担ぐことになるのです。もし日本のクリーンな製品を買いたかったら、ある程度高価格を覚悟するか、小さいソーラーパネルで我慢しないといけません。

 

 つまり、一見炭酸ガスを排出しないメガソーラーは、実はSDGsの理念的に非常大きな問題をいくつも抱えた存在なのです。

 これはほかの「クリーンエネルギー」、例えばEV車なんかにも言える事。大型のバッテリーはそれだけで「環境負荷」や「中共の人権」といった問題に直結するし、そもそも「どうやって電気を作るか?」を考えた場合、エネルギー効率の悪い「石油から発電した電気」を使うくらいなら、初めから石油を燃料にして運動エネルギーに変えた方がよほど環境負荷が少ないことになります。「二酸化炭素は出したくない、でも車には乗りたい」なんてのは成立せず、「どの手段がマシか?」という選択を「自身のリテラシー」の中から選択せざるを得ないのです。

 ソーラーパネルだって、日本で作られた公正なモノはあるのだし、メガソーラーなんていうムチャではなく、正しく使えばいいだけの話なのです。

 例えば日本製のソーラーパネルや蓄電池を使って街灯や電卓に利用する。水素ステーション電気分解に利用されているのを見たこともあるし、水を汲み上げるポンプとか、夏の暑い間だけそのポンプでくみ上げた水を気温で温めて風呂水にするとか、スマホバッテリーにくっつけておくとか、「小型で小規模の電力供給が可能」という利点を生か事こそ、ソーラーパネルの正しい使い方というものなのです。

 それこそ日傘替わりにソーラーパネルを掲げて歩きつつスマホバッテリーを充電するとか車のサンシェードの代わりにするとか・・・え?かっこ悪い?

 ならばハッキリ書きましょう。

 環境対策なんて基本かっこ悪いのです!!

 メモ書きは裏紙を使うだの、自転車を使うだの、風呂水を洗濯に使うだの、個人でできる環境対策はチマチマとした、言ってみれば「ケチ臭い」ものばかり。でもそういった環境に対するマインドというのが、「リテラシー」につながり、やがて正しい知識に、そして「正しい環境対策・政策」に繋がっていくのではないのでしょうか!?

 

 太陽光発電は結構、それで温暖化対策になるなら結構、しかしそれを単純につなぎ合わせて「メガソーラーは環境にいいのだ!」などという結論で思考停止することだけは止めていただきたいのです。