上杉アイクの机上で空論

独特の感性で森羅万象を考えます

国家試験と夜美〇と

 昨今の「アナログゲームブーム」により、幸運にも1人でボドゲカフェに行っても様々なゲームを楽しめます。友人の家で散々遊んだボードゲームが面白すぎて自分も買ったはいいけれど、結局プレイする人がいない・・・というもの改善されようとしています。

 ちなみに当時は臨床検査技師の国家試験の3か月前。土曜日の夜に始めて終わるのは深夜3時という、受験生とは思えない生活でした。帰ってテレビをつけたらやっているのは夜〇女。「国試3か月前に何やってんだ・・・」と思いながら見る〇美女の前にヨーグルトがうまいのなんの。

 

 さて、僕もそれなりの回数ボドゲカフェに通っているので、それなりにゲームの良し悪しも分かるようになりましたが、「アルゴ」に「バトルライン」に「街コロ」に・・・と非常に解りやすいゲームから、「ドミニオン」みたいに街コロをプレイしてやっとピンと来たような少々複雑なゲームもあります。しかし、単純明快にして知り合いでも初めて会った人とでも楽しめる。更にはリプレイ性も高いのでそれだけで何回でも遊べる、まさにアナログゲームの王道的存在が「カタンの開拓者たち」です。

 僕がアナログゲームにハマるきっかけとなり、上記の、友人宅でプレイして自分でも購入したゲームでもある「カタンの開拓者たち」。今でこそ上記のような色々なゲームも楽しみですが、当初はカタンをプレイしたいがためにボドゲカフェに行こうと思ったのです。

 そして先日、念願の(!?)カタンをプレイできました。しかも初対面同士の3人でのプレイ。これでも人見知りな方なので不安でしたが、開始3分で、僕が羊のカードを持って「木と交換しません~?」「木と交換されたいよ~モフモフされたいよ~って羊が言ってますよ~」相手が交渉を仕掛けた時は「そこはやはりお気持ちを上乗せしていただけると助かります~(張り付いたような笑顔で)」と、やりたい放題。盗賊がいる所の目が出てたら、移動させた人を見ながら「ちょっと~」と完全に打ち解けることができました。

 

 結局のところ「単純明快な共通認識」というのは、みんなで盛り上がるのに一番必要な要素と言えます。その日もなんだかんだ閉店まで楽しみましたが、一人でゲームをしたり動画をひたすら見たり寝てしまったり・・・といったことで同じだけの時間を使うよりも、「後悔する感覚」ってのがほとんど感じないんですよ。それはやっぱり「みんなで」「盛り上がる」という経験があるからではないか?と思っています。

 かのアードラー心理学でも「人間というものは、自分自身が『そこにいてもいい』と感じられた時に幸福や安心を感じることができる」としています。*1お仕事や人間関係、その他の理由で「新しい経験」が必要だと感じているそこのアナタ!今度のお休みはボドゲカフェに行きましょう!!

*1:なので、新世紀エヴァンゲリオンの最終回で「僕はここにいてもいいんだ」→「おめでとう」がアードラー心理学の影響を受けているとも、アードラー心理学を悪用(?)した自己啓発セミナーとも言われることがあります